賀川豊彦の略年譜

賀川豊彦の略年譜

賀川豊彦の立体年表

賀川豊彦の生涯を静止画を動かせながら年代順に見せる動画です。2008年に、雲柱社創立70周年を記念して制作された映像の一つです。

 

賀川豊彦の略歴

賀川豊彦のこれまでの略歴を紹介します。

年代 年齢 概要
1888年(明治21年) 0才 7月10日(戸籍では12日)賀川純一と益栄(本名菅生かめ)の次男として神戸に生まれる。
1893年(明治26年) 5才 あいついで両親に死別、徳島に移る。
1901年(明治34年) 13才 肺結核の診断を受ける。
1902年(明治35年) 14才 宣教師C・A・ローガンに英語を学ぶ。
1904年(明治37年) 16才 宣教師H・W・マヤス博士より洗礼を受く。
1905年(明治38年) 17才 徳島中学校を卒業し、明治学院高等部神学予科に入学する。
1906年(明治39年) 18才 徳島毎日新聞に「世界平和論」を投稿、掲載される。
1908年(明治41年) 20才 「鳩の真似」(後の「死線を越えて」)の原稿を携えて島崎藤村を訪れる。
1909年(明治42年) 21才 神戸の葺合新川に貧しい人々と一緒に住み、キリスト教伝道、隣保事業を行う。
1913年(大正2年) 25才 芝ハルと結婚。
1914年(大正3年) 26才 プリンストン神学校へ入学、プリンストン大学で聴講。ハルは横浜の共立女子神学校に入学。
1916年(大正5年) 28才 プリンストン神学校より神学学士号の学位をうける。
1917年(大正6年) 29才 アメリカから帰国し、再び神戸においてキリスト教伝道と社会事業をはじめる。
1918年(大正7年) 30才 友愛会に加わって、神戸地区の労働運動に参加し次第に関西一円の指導者となる。
1919年(大正8年) 31才 労働運動と並行して消費組合運動をおこし、大阪に購買組合を設立。
1920年(大正9年) 32才 小説「死線を越えて」を出版。
1921年(大正10年) 33才 川崎造船所、三菱造船所に労働争議がおこり、 賀川は参謀として活躍する。神戸購買組合を設立、イエスの友会を結成。
1922年(大正11年) 34才 「雲の柱」発刊。財団法人「神戸イエス団」 設立。日本農民組合創立。
1923年(大正12年) 35才 「イエスの友会」第1回修養会を御殿場東山荘にて開催。関東大震災救援のため東京に移り住み、各種の救援活動を行う。
1925年(大正14年) 37才 日本救癩協会(日本MTL)生る。イエスの友会全国大会において「百万人救霊運動」を開始することを宣言。大阪の労働者街に四貫島セツルメントを創設。
1926年(大正15年~昭和1年) 38才 東京学生消費組合を設立、「神の国運動」を開始、西宮に移る。
1927年(昭和2年) 39才 西宮瓦木村の自宅で、農民福音学校を開校。東京に江東消費組合を設立。
1928年(昭和3年) 40才 東京に中ノ郷質庫信用組合を設立。
1929年(昭和4年) 41才 東京市長掘切善次郎より社会局長就任を要請されたが辞退、嘱託となる。西宮より東京松沢村に移転。
1930年(昭和5年) 42才 御殿場農民福音学校高根学園開設
1931年(昭和6年) 43才 東京医療利用購買組合設立運動を開始する。(認可昭和7年)。松沢教会設立、松沢幼稚園を開園。
1933年(昭和8年) 45才 日本協同組合教育協会を設立、協同組合運動者の養成に尽力する。
1934年(昭和9年) 46才 東北饑饉救済に「親類運動」を起こし、子女を引取る。
1936年(昭和11年) 48才 江東消費組合で栄養食配給を開始。
1937年(昭和12年) 49才 「星座かるた」を考案発表。
1938年(昭和13年) 50才 財団法人「雲柱社」を設立し、初代理事長となる。
1940年(昭和15年) 52才 反戦論の件について渋谷憲兵隊に検挙され、18日間留置される。「雲の柱」廃刊。
1941年(昭和16年) 53才 平和使節として、アメリカにおもむき戦争防止のために尽力する。
1943年(昭和18年) 55才 反戦思想、社会主義思想の故をもって神戸相生橋警察署に留置される。
1945年(昭和20年) 57才 日本基督教団戦時救済委員会委員長として、戦災者の救護にあたる。東久邇内閣の参与になる。「マッカーサー総司令官に寄す」を読売報知に掲載。日本協同組合同盟会長となる。
1946年(昭和21年) 58才 食料対策審議会委員となる。また貴族院議員に勅選される。「キリスト新聞」創刊。新日本建設キリスト運動を宣言。
1947年(昭和22年) 59才 全国農民組合長に推される。
1950年(昭和25年) 62才 欧米伝道に出かける。
1952年(昭和27年) 64才 広島市で、世界連邦アジア会議が開かれ、その議長となる。
1955年(昭和30年) 66才 ノーベル平和賞候補にあげられる。
1958年(昭和33年) 70才 クアラ・ルンプーの国際協同組合同盟東南アジア会議に日本代表として出席。
1960年(昭和33年) 71才 4月23日東京上北沢の自宅にて召天。
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