| 1902年(明治35年) |
14才 |
宣教師C・A・ローガンに英語を学ぶ。 |
| 1904年(明治37年) |
16才 |
宣教師H・W・マヤス博士より洗礼を受く。 |
| 1905年(明治38年) |
17才 |
徳島中学校を卒業し、明治学院高等部神学予科に入学する。 |
| 1906年(明治39年) |
18才 |
徳島毎日新聞に「世界平和論」を投稿、掲載される。 |
| 1908年(明治41年) |
20才 |
「鳩の真似」(後の「死線を越えて」)の原稿を携えて島崎藤村を訪れる。 |
| 1909年(明治42年) |
21才 |
神戸の葺合新川に貧しい人々と一緒に住み、キリスト教伝道、隣保事業を行う。 |
| 1913年(大正2年) |
25才 |
芝ハルと結婚。 |
| 1914年(大正3年) |
26才 |
プリンストン神学校へ入学、プリンストン大学で聴講。ハルは横浜の共立女子神学校に入学。 |
| 1916年(大正5年) |
28才 |
プリンストン神学校より神学学士号の学位をうける。 |
| 1917年(大正6年) |
29才 |
アメリカから帰国し、再び神戸においてキリスト教伝道と社会事業をはじめる。 |
| 1918年(大正7年) |
30才 |
友愛会に加わって、神戸地区の労働運動に参加し次第に関西一円の指導者となる。 |
| 1919年(大正8年) |
31才 |
労働運動と並行して消費組合運動をおこし、大阪に購買組合を設立。 |
| 1920年(大正9年) |
32才 |
神戸購買組合を設立。小説「死線を越えて」を出版。 |
| 1921年(大正10年) |
33才 |
川崎造船所、三菱造船所に学働争議がおこり、賀川は参謀として活躍する。イエスの友会、日本農民組合を結成。 |
| 1922年(大正11年) |
34才 |
「雲の柱」発刊。財団法人「神戸イエス団」設立。 |
| 1923年(大正12年) |
35才 |
「イエスの友会」第1回修養会を御殿場東山荘にて開催。関東大震災救援のため東京に移り住み、各種の救援活動を行う。 |
| 1925年(大正14年) |
37才 |
日本救癩協会(日本MTL)生る。イエスの友会全国大会において「百万人救霊運動」を開始することを宣言。大阪の労働者街に四貫島セツルメントを創設。 |
1926年(大正15年
~昭和1年) |
38才 |
東京学生消費組合を設立、「神の国運動」を開始、西宮に移る。 |
| 1927年(昭和2年) |
39才 |
西宮瓦木村の自宅で、農民福音学校を開校。東京に江東消費組合を設立。 |
| 1928年(昭和3年) |
40才 |
東京に中ノ郷質庫信用組合を設立。 |
| 1929年(昭和4年) |
41才 |
東京市長掘切善次郎より社会局長就任を要請されたが辞退、嘱託となる。西宮より東京松沢村に移転。 |
| 1930年(昭和5年) |
42才 |
御殿場農民福音学校高根学園開設 |
| 1931年(昭和6年) |
43才 |
東京医療利用購買組合設立運動を開始する。(認可昭和7年)。松沢教会設立、松沢幼稚園を開園。 |
| 1933年(昭和8年) |
45才 |
日本協同組合教育協会を設立、協同組合運動者の養成に尽力する。 |
| 1934年(昭和9年) |
46才 |
東北饑饉救済に「親類運動」を起こし、子女を引取る。 |
| 1936年(昭和11年) |
48才 |
江東消費組合で栄養食配給を開始。 |
| 1937年(昭和12年) |
49才 |
「星座かるた」を考案発表。 |
| 1938年(昭和13年) |
50才 |
財団法人「雲柱社」を設立し、初代理事長となる。
|
| 1940年(昭和15年) |
52才 |
反戦論の件について渋谷憲兵隊に検挙され、18日間留置される。「雲の柱」廃刊。 |
| 1941年(昭和16年) |
53才 |
平和使節として、アメリカにおもむき戦争防止のために尽力する。 |
| 1943年(昭和18年) |
55才 |
反戦思想、社会主義思想の故をもって神戸相生橋警察署に留置される。 |
| 1945年(昭和20年) |
57才 |
日本基督教団戦時救済委員会委員長として、戦災者の救護にあたる。東久邇内閣の参与になる。「マッカーサー総司令官に寄す」を読売報知に掲載。
日本協同組合同盟会長となる。 |
| 1946年(昭和21年) |
58才 |
食料対策審議会委員となる。また貴族院議員に勅選される。「キリスト教新聞」創刊。新日本建設キリスト運動を宣言。 |
| 1947年(昭和22年) |
59才 |
全国農民組合長に推される。 |
| 1950年(昭和25年) |
62才 |
欧米伝道に出かける。 |
| 1952年(昭和27年) |
64才 |
広島市で、世界連邦アジア会議が開かれ、その議長となる。 |
| 1955年(昭和30年) |
67才 |
ノーベル平和賞候補にあげられる。 |
| 1958年(昭和33年) |
70才 |
クアラ・ルンプーの国際共同組合同盟東南アジア会議に日本代表として出席。 |
| 1960年(昭和35年) |
71才 |
4月23日東京上北沢の自宅にて召天。 |